推し×宗教
推し活×宗教
推すことは、信仰することだ。推しの聖地があり、推しの祭日があり、布教があり、そして敬虔な信者がいる。宗徒にとっては礼拝があるが推し活する人にとっても儀式がある。祭壇をつくって写真やアクリルスタンドを並べ、推しの誕生日などにはケーキを用いてそれを祝う。推し活を通して人生が困難なときも精神的な支えや救済を感じる。それは無宗教の人が多い現代の我々にとっての個人的な宗教だと思う。
これまで生きてきて、自分が「推し活」をしていると感じたことはなかった。けれど、以前に好きなアーティストのコンサートに行ったとき、ほんの少しその感覚を垣間見た。会場にいる全員が同じアーティストを好きで、腕を上げたり、手拍子を合わせたりする。その一つひとつの所作が、見知らぬ人同士の間に一体感を生み出していた。あのとき感じた安心感と所属感は、日常ではなかなか得られないものだった。またあれを体験しに行きたいと思えた。
宗教は時代や社会によって形を変えることはあっても、その宗教的な性格が「卒業」することはない。けれど、推しには卒業がある。引退もあるし、時には亡くなってしまうことさえある。その「終わり」があるところこそ、宗教との大きな違いであり、推し活の面白い部分だと私は思う。そのまま推し続ける人もいるだろうし、新しい推しを見つける人もいるだろう。それはきっと、現代の信仰が持つ一番人間らしい姿なのかもしれない。
kosukemiyazawa
2025年8月2日
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