思い出補正と祭りと修行
思い出補正
人生のある時点で経験したことは概して時間の経過とともに程よく忘れている。強烈な体験は忘れ得ないものもあるがやはりこれも時の流れとともに丸みを帯びてくる。特にそれが毎日繰り返される日常であれば忘れるまでに多くの時間を要しない。
2月の連休に友人と二人で韓国旅行に出かけた。初渡韓でかなり楽しみにしていたし旅行自体はとても楽しかった。しかし3泊4日の旅行程度でこんなことを言うのも憚られるが、僕にとって目を見張るような新しいものはなかった。美容や韓ドラ、K-POPなどのいわゆる韓流と言われるものに全く興味のない僕はソウルの街を歩いても歩いても既視感のある都会の景色を眺めているようだった。
今の時点で韓国にまた行きたいかと訊かれると疑問符がつく。ご飯が美味しいの一点張りで韓流に興味が皆無な僕が再度韓国を欲するのは少々無理がある気がする。けれども一緒に行ってくれた友人と、時間の経過による思い出補正のおかげでしばらく時間が経つとまた韓国に行きたいと思うのかもしれない。
「いい人と歩けば祭り、わるい人と歩けば修行」瞽女の小林ハルの言葉だ。大学生の時に知って以来自分がこれまで経験したことの良し悪しはここに収斂すると感じている。家族も職場も友人も自分に合う人といれば祭りだし合わない人といれば修行になる。旅行もご多分に漏れずその一つだ。どこへ行くかも大切なことだけど誰と行くかはもっと大事な要素だ。ストレスフリーな会話ができて訳のわからないことを気兼ねなく言うことのできる友人は貴重だ。韓国が楽しかったのか会話が楽しかったのかはわからないけど僕にとっての韓国旅行はいい人と歩いたので祭りだった。
思い出補正についても考えてみた。思い出補正は回顧バイアスといい、過去の出来事を実際にはそうでなかったとしても過去をより良いものとして認知することらしい。今日僕がこれから死んでしまうとして誰かに「人生どうでしたか?」って訊かれたら「色々あったけど楽しかったです。ありがとうございました。」みたいな具合で答えると思う。現在のことは度外視して過去のことだけにスポットライトを当てるとどの時点でも楽しかったように記憶しているし、人生のどの瞬間にも過去に戻りたいと感じている。その瞬間では泣きたくなるようなことや、怒ったり悲しくなったりすることもあったはずだけど振り返るとそうでもない。思い出補正のかかった過去を常に羨みつつ、今日も生きながらえて過去になるのを待ち望んでいる。