あと何回

あと何回

 春になって桜が咲く季節になると全国各地で同時多発的に桜祭りが開催されて人が集まっている。今年はなぜか桜祭りに行く気力がなかったので仕事中によく見かける桜の咲いているところへ赴いた。だだっ広い公園のようなところで大きな桜がたくさん咲いていた。桜祭りによく見られる混雑は一切なく、僕と1組の老夫婦しか居なかった。さくら祭りの桜もそうでない桜も尊卑はないのでなんとなく得した気分になった。ただ、人がそう多くないところや全く居ないところを見つけると自分だけの場所に出会えた気がして嬉しくなる。それと同時に毎年のイベントや季節を感じたりする場面に出会すと、あとこれが何回見れるんだろう考えることが増えた。あと何回かは誰もわからないけど確実に1回ずつ消費している。季節を感じさせる出来事はそれを待ち望んでいるだけにそれが過ぎ去ることにも侘しさを感じる。

 中学を卒業して10年ほど時間が経過した。自分の中の時間軸は高校生になってからが鮮明だ。小学生中学生の頃ももちろん記憶はあるが時間軸としては覚えていないし思い出そうとしても感覚がない。高校と大学を卒業し、社会人として何年間か働いたこの10年は良くも悪くも自分の中に時の経過という経験が蓄積されている。そこで次のように強く思うのである。「だいたいこの長さの時間経過をnセット繰り返すと自分は何歳になっている」と。時間を測れることは便利であると同時にしっかりとした不安と恐怖をもたらしてくれる。悩んで考えあぐねても時間の経過は止められないしどうしようもない。けれども季節を感じるものに出会すとこの思いが立ち現れる。こんな不安も時間の経過が解決してくれるのであろうか。

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