鹿児島旅行
鹿児島旅行
これまで何人が生まれて亡くなっていったのかは全く検討がつかない。山ほどと言うべきなのか天文学的数字と言うべきなのか、フェルミ推定でも辿り着けるかわからない。けれど、誰一人として生まれてくることと死んでいくことを経験できない。気づいたら生きていて知らぬ間に死んでいる。数多の人が生まれて死んでいるのに一度たりとも自分の経験としてストックできないこの現象はとても興味深い。それでも生まれてしまった自分はいるわけだし、自分なりの解釈を与えて人生を運営していくほかないのだと思う。あの世に持っていけるものは六文銭くらいだ。そのうちに、どういう形かで自分へふりかかってくる死の瞬間に向けて、せっせこせっせこと思い出を作っていきたい。
鹿児島県に旅行に行った。大分県から鹿児島県にむかう時は博多回りで新幹線で行ったほうがかなり早いけど今回は宮崎県を経由して行った。約5時間半の電車旅だ。分かったことは深い山の中をゆくのでおおむね携帯は圏外ということだ。電波が1本入ったり2本入ったりするところもあったが基本的には情けないくらいの電波しか入らない。僕のケータイ君は電波を探そうと必死だった。努力も虚しく、アップル製のホカホカのデバイスが出来上がった。真夏の車のシートベルトの金具部分くらいには熱を帯びていたと思う。霧島市を抜けると線路沿いに海の景色が広がる。霧島〜鹿児島間は20分ほど海沿いを走っていて気持ちがよい。晴れた日には桜島がきれいに見えるんだろうなと想像を巡らせた。現実は、手の届きそうなところまで降りてきた雨雲と車軸を流すような雨が僕を歓迎してくれた。
桜島は大正時代の大噴火で大隅半島と繋がったことを知った。桜島なのに島じゃないことにびっくりしたし、島じゃなくなった理由が大噴火ということには匕箸(ひちょ)を失った。当時の噴火の勢いを伝えるために埋まった鳥居が残されていた。観光名所に時々おいてあるみんなが書けるノートを眺めるのが好きだ。自分が書くわけではないが他の人が何を書き残しているかが気になる。思ったより埋まってると書いた人はどれくらい埋まっているのを想像していたのだろうか。膝くらいまで?腰くらいまで?
おみくじも引いてみたけど相場の項目は「大ゆれにゆれる」だった。そっと折り畳んで糸に結んだ。これまでにおみくじは腐るほど引いてきたけど内容なんてほとんど覚えていない。これを書いているときにふと気になって、おみくじを作っている会社などあるのだろうかと調べてみた。あった。山口県周南市にある女子道社という会社だそうだ。調べている限り全国の寺社のおみくじの6割のシェアを握っているようだ。ニッチトップは強い。利益率も高そうだ。こんな事実を知っても性懲りもなく、また旅行先の神社で思考停止でおみくじを引いている自分が容易に想像できる。けどそれも思い出の一部になる。