そそくさと帰る祖父母
そそくさと帰る祖父母
犬や猫などのペットを飼っている人はたくさんいる。誰かの家にお邪魔したときに何かを飼っていると「可愛いなー、欲しいなー」などと思う。けれども実際には絶対に自分の意志で飼うことはないと思う。当たり前のことであるが、犬や猫を飼うと毎日世話をしてあげないといけない。餌もむしゃむしゃ食うし、闇雲に吠えてみたり、トイレでないところで盛大に排泄を行い、犬であればほぼ毎日のように散歩を要求されるだろう。今の僕にはこんなことは到底不可能だ。何かをしようと決意した30分後には「あー、もういいや」となってしまう。飼われている方からしたらたまったもんじゃないし、気分で自分へのお世話の質が変わるのは飼われている側の生活基盤が危うい。僕は犬や猫の可愛い部分のいいとこ取りをしたい。いい例を思いついたので書いてみる。自宅から車で1時間くらいの距離に住んでいる父母が週末に自分の子である孫を可愛がりにきてランチなり食卓を囲んで、お小遣いを渡してみたりおもちゃを買い与えたりして一般的に目に入れても痛くないという孫の可愛い成分を数時間享受した挙句、機嫌が悪くなりだすと途端に「じゃあ、そろそろお暇しようかしら」と帰っていってしまうようなイイトコドリをしたいのだ。褒められたものでは決してないけど、そういうものに私はなりたい。
大分県佐伯市蒲江の沖にある深島というところは猫島として有名らしく、島のそこここで猫が闊歩している。寄ってくる猫もいれば僕のことが視界に入るや否や脱兎の如く逃げていく猫もある(猫に脱兎という表現を使うのが好ましいかはわからないが)。目つきの悪い猫もいれば、仰向けに寝転んで撫でてからここを通れと主張せんばかりの猫もいた。猫を愛でるには最高の島だ。それでも猫の可愛さを存分に堪能したけど帰りの船の時間になるとそそくさと帰る。欲しいときに欲しい分だけ堪能して時間になれば「それじゃ。」って言って帰っていく。ペットや動物に対しての態度だけではなく他の人への接し方もこうなってしまっているのかもしれない。が、しかしそういう距離感が今の自分にはちょうどいい距離感だと思う。一時的な過干渉には耐えれるしむしろ心地いいが、それが許容度を超えると不愉快になる。別居している祖父母が目に入れても痛くない孫を1時間だけ可愛がって帰っていくような人間関係は治るのだろうかと自分のことが心配になる。そういう自分の中にある性格は完治しないだろうし、良くなったとしても部分寛解だと思う。